山上単独犯行説は物理的に成立しない ― 弾道が示す“もう一つの真実
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「山上単独犯行説」は、科学的にも論理的にも成立しない。
そう断言せざるを得ないのは、現場の映像・検察の弾道説明・そして物理法則のいずれを取っても、致命弾の軌道が“上から下へ”と通過していることにある。
本稿では、司法研修所の刑事弁護教育の視点から、山上徹也被告の行為を「単独犯行」と断定することの不合理を整理し、弁護側が法廷で提示しうる論点を提示する。
◆ 第1章 事件概要と弾道の矛盾
事件は2022年7月8日、奈良市の大和西大寺駅前で発生した。
山上徹也被告は手製のパイプ銃を用い、背後から安倍晋三元首相に向けて発砲。
2発のうち後方の1発が致命傷になったとされている。
しかし、検察の主張によれば、致命弾は「右上腕部から侵入し、心臓を貫通、左肩付近から抜けた」。
つまり、弾道は上から下方向に通過している。
だが、山上の射撃姿勢は腰の高さ程度。
この時点で弾道の物理角度が整合しない。
| 項目 | 検察の説明 | 実際の映像・現場物理 | 整合性 |
|---|---|---|---|
| 射撃位置 | 約7〜10m後方・肩の高さ以下 | 腰〜胸の高さ | ❌ |
| 被弾位置 | 右上腕から心臓を貫通 | 胸部中央付近 | ❌ |
| 弾道方向 | 上→下 | 下→上(映像上) | ❌ |
| 弾の威力 | 致命傷を与える貫通力 | 手製銃では困難 | ❌ |
つまり、物理的に「下から撃った弾が、上から下に抜ける」ことは不可能だ。
この一点で、「単独犯行説」は弾道力学的に破綻している。
◆ 第2章 法廷弁論の論点整理
刑事弁護の実務において、最も重視されるのは「物理的整合性」である。
仮に私が司法研修所の刑弁教官として受講生の答案を採点するなら、
この事件を“無批判に単独犯行”と論述した答案は失格とする。
なぜなら、以下の三点で論理の基礎が崩壊しているからだ。
- 弾道の角度が発射位置と一致しない。
- 手製銃の威力では貫通力が不足する。
- 目撃者・映像に“複数方向からの音響反射”が記録されている。
とくに音響解析では、発砲音が2方向から到達している可能性が指摘されており、
「もう一人の射手」が存在したとしても不思議ではない。
◆ 第3章 弾道シミュレーションと映像解析
物理的検証を行うため、事件映像・目撃証言・現場写真から想定される角度を再構成すると、
山上被告の射撃位置は地面から約1.3m。
一方、安倍氏の被弾位置(胸部)は約1.55m。
よって、山上の銃口は被弾点より低い位置にあったことになる。
この条件下では、弾丸が心臓を上から下へ貫く軌道を取るには、
「高所からの射撃」または「上方反射弾」の存在を想定する必要がある。
しかし、現場にそのような反射物体や高所射手の存在は公式記録には示されていない。
つまり、現行の「単独犯行」説明は、
物理的に見て弾道の起点が存在しない架空のシナリオである。
◆ 第4章 “会見”は事件の集大成か、幕引きか
最近行われた関係当局の会見では、「山上単独犯行」説があらためて強調された。
だがその内容は、あまりに形式的で、
事件の科学的矛盾や弾道検証への質問には一切答えていない。
むしろ、会見全体が「単独犯行で事件を終結させるための政治的演出」に見える。
つまり、真相解明よりも“物語の整理”が優先された印象を受けるのだ。
本来であれば、法治国家として、
第三者による独立した弾道・映像再解析を行うべきである。
それを行わずに「集大成」と称することは、
法的責任の放棄に等しい。
◆ 第5章 結論 ― 科学的検証なくして正義なし
事件の本質は、すでに「個人の動機」や「宗教問題」だけでは説明できない段階にある。
今必要なのは、“誰が撃ったのか”よりも、“どこから撃たれたのか”という科学的真実の追求だ。
弁護側としての立場からすれば、次のように主張せざるを得ない。
「本件は弾道の整合性を欠き、単独犯行の認定は合理的疑いを超えていない。
よって、被告人以外の関与を排除できない限り、有罪認定は許されない。」
これこそが、刑事司法の根幹にある「推定無罪」の理念である。
単独犯行説を強引に押し通すことは、司法制度そのものを危うくする。
真実を覆い隠すのではなく、科学的に再検証する姿勢こそが、
民主国家の最低限の責任である。
──この事件の「終わり」は、まだ始まってすらいない。
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