浮島八幡宮は忌部大社だった!阿波国の歴史は「忌部の歴史」— 吉野川の中洲に眠る神々の島

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徳島県・吉野川の中洲にあった善入寺島(粟島)。この島に鎮座していた「浮島八幡宮」は、実は古代の忌部神社(忌部大社)でした。阿波国神社改帳には「麻植郡宮島村浮島八幡宮、当社は古くから忌部神社と申して来た所、天正中(1573〜91年)に八幡と改め」との記録が残っています。この記事では、動画「【浮島八幡宮は忌部大社】阿波国の歴史は、忌部の歴史!」の内容をもとに、阿波国を拓いた忌部氏の足跡と、政治によって「八幡」へと塗り替えられた神社の歴史を解説します。

浮島八幡宮はもともと「忌部神社」だった — 阿波国神社改帳の記録

吉野川の中央に位置する川島町は、古くから忌部氏によって開拓された土地であり、古代には忌部神社が祀られていました。しかし中世に入ると、政治的圧力により八幡信仰へと改められます。阿波国神社改帳にある「麻植郡宮島村浮島八幡宮、当社は古くから忌部神社と申して来た所、天正中(1573〜1591年)に八幡と改め」という記述は、まさにそれを裏付けるものです。

この八幡宮はもともと川島町宮ノ島の島麓に祀られ、創建は白雉2年(673年)と伝えられています。明治41年(1908年)、吉野川の改修工事により遷座が必要となり、桑村の天神社や大字川島の春日神社など40社以上を合併。現在地(川島町白山195番地)に社殿を構え「川島神社」と改称し、大正5年(1916年)に遷座祭・鎮座祭が行われたと川島誌に記されています。

川島神社に受け継がれた浮島八幡宮の神々

川島神社には、八幡宮の神である応神天皇・比売神に加え、忌部神社の神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)をはじめとする40余柱が祀られ、氏子戸数は580戸に及びます。忌部の神と八幡の神が一つの社に同居しているという事実こそ、浮島八幡宮が「忌部大社」であった歴史の証です。

善入寺島(粟島)— 神々の島と呼ばれた吉野川の中洲

眼下に見える島は「神々の島」でした。古地図を見ると、この島は単なる耕地ではなく、吉野川の自然に守られた聖地であったことが分かります。島には506戸・3,000人が暮らし、独自の風習を守り、多くの神々を祀っていました。最初に神を祀った忌部の人々が去った後も、住民たちは強制退去の日まで島を聖地として守り続けたのです。

川島銅鐸出土地 — 出雲と阿波を結ぶ糸

この地域からは、島根県・荒神谷遺跡で大量に出土したものと同型の銅鐸が発見されています。なぜ阿波で出雲と同型の銅鐸が出土したのか。ここから島根の出雲地方と阿波を結ぶ古代の繋がりが見えてきます。

伊加賀志神社(いかがしじんじゃ)— 式内社と忌部の祖神

川島町大字奥1635番地に鎮座する伊加賀志神社は、伊加賀色許売命(いかがしこめのみこと)・伊加賀色許男命・天照大神を祀ります。新嘗祭には平安時代は国司、藩政時代は藩主が参拝し、朝廷から大明神と呼ばれ、古くから神田・神宝を賜った歴史ある式内社です。

由緒記によれば、もとは桑村にあり、「いかがし」という地名は伊加賀色許男命の伝承に由来するとされます。通称「火の大明神」。元々は桑村の豪土田金兵衛氏の屋敷裏の竹藪に祀られていましたが、水害で竹藪が流出し、現在の地へ遷座されました。

伊加賀色許売命は忌部氏の出身 — 崇神天皇の母

吉野川市鴨島町の由加神社(由緒)によれば、伊加賀色許売命は第10代・崇神天皇の母であり、「大部(おおべ)」の娘とされます。「おおべ」は発音しにくいため「おおつか」に変化したといい、大部命は忌部氏の祖神です。つまり伊加賀色許売命は忌部氏の系統であり、その弟・伊加賀色許男命は物部氏の祖神とされています。

蜂須賀家の家紋は「丸に左万字」だけではない — 抱き柏紋の謎

阿波藩主・蜂須賀家政の家紋といえば「丸に左万字」が有名ですが、これは源頼朝から平治の乱の挙兵の際に賜ったもの。豊臣秀吉から領地を賜った際に拝領したのが、よく知られる抱き柏(だきがしわ)紋です。当初は足利義輝から賜った桐紋でしたが、主君の家紋を用いて発展させた抱き柏紋が、蜂須賀家の正式な紋となりました。

興味深いのは、徳島市内の由緒ある神社の社紋にもこの抱き柏紋が使われている点です。国府の天石門別神社・桜姫神社の社紋は蜂須賀家の抱き柏紋。これは偶然なのでしょうか。阿波の神社史には、藩政時代の政治的な影響が色濃く刻まれています。

鎮守八幡神社の由緒 — 式内社「秘羽女神社」の改名

吉野川市川島町児島にある鎮守八幡神社の由緒書きには、さらに象徴的な記録があります。この八幡神社は武士による戦乱で焼失し、式内社秘羽女神社(ひめがみじんじゃ)として再建されましたが、「その社号はさしつかえがある」として改名を申し渡されたというのです。明治8年(1875年)の時点で、秘羽女神社は秘羽女神・長浜女命を祀る姫神の社であることが明確にされています。

この地の昭和の地名には「女(め)」の字が残り、姫塚も存在します。歴史ある秘羽女神社は八幡神社となった — この由緒書きには、書き記した人物の思いが込められているのです。

まとめ:阿波国の歴史は「忌部の歴史」

阿波北部を拓いた忌部氏は、吉野川に沿って各地に忌部神社を建立し、氏族の結束を強めながら上流へと進出しました。浮島八幡宮(忌部神社)、川島神社に祀られる天日鷲命、伊加賀志神社の伊加賀色許売命・許男命、改名を命じられた秘羽女神社 — これらはすべて、政治によって塗り替えられた「忌部の歴史」の断片です。

川国の歴史は影の歴史。しかし、人々が守り抜いた歴史は、決して消すことができません。吉野川の中洲に眠る神々の記憶を、ぜひ現地で確かめてみてください。

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