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東禅寺(とうぜんじ)は、愛媛県今治市蔵敷町2-14-2(本坊 南宝来町3-7-8)にある真言宗醍醐派の寺院です。山号は霊樹山、院号は醫王院。本尊は等身の薬師瑠璃光如来立像(今治市指定文化財)で、地元では古くから「樹ノ本(きのもと)お薬師さん」の愛称で親しまれてきました。創建は推古天皇10年(602年)と伝わる飛鳥時代にまでさかのぼり、伊予の豪族・越智氏、中世の伊予国守護・河野氏、そして近世の今治城主・藤堂氏や松平(久松)氏の帰依を受けて栄えた、今治きっての古刹です。

東禅寺の基本情報
まずは東禅寺の概要を一覧で確認しておきましょう。今治駅から徒歩圏内という立地でありながら、1400年以上の歴史を刻む寺院である点が最大の特徴です。
| 霊樹山 醫王院 東禅寺 | |
|---|---|
| 正式名称 | 霊樹山 醫王院 東禅寺(れいじゅさん いおういん とうぜんじ) |
| 別称 | 樹ノ本お薬師さん |
| 宗派 | 真言宗醍醐派(総本山:京都・醍醐寺) |
| 本尊 | 薬師瑠璃光如来立像(今治市指定文化財) |
| 創建 | 推古天皇10年(602年)/飛鳥時代 |
| 開基伝承 | 伊予国司 小千(越智)益躬公 |
| 所在地(本堂) | 愛媛県今治市蔵敷町2-14-2 |
| 所在地(本坊) | 愛媛県今治市南宝来町3-7-8 |
| 電話番号 | 0898-22-4031 |
| 主な堂宇 | 山門・本堂(薬師堂)・観音堂・地蔵堂・本坊持仏間 |
| 札所 | 伊予府中二十一ヶ所霊場(弘法大師参り)ゆかりの寺 |
| アクセス | JR予讃線「今治駅」東口から徒歩約15分(約1.1km) |
| 位置 | 北緯34度03分27.9秒/東経133度00分09.5秒 |
「鉄人伝説」から始まる創建 ― 越智益躬と東禅寺
東禅寺の起源は、愛媛に伝わる勇壮な英雄譚「鉄人(てつじん)伝説」と分かちがたく結びついています。推古天皇10年(602年)、大陸から「鉄人」と呼ばれる武将が八千の兵を率いて九州へ侵攻し、都を窺おうとしました。この国難に際して勅命を受けたのが、伊予国司・小千(越智)益躬公です。
伝承によれば、益躬公は一族の守護神である三嶋大明神に七日七夜の祈願を捧げ、「鉾を鏃(やじり)にして隠し持ち、隙を突いて討て」という神託を得ます。真正面から戦っても勝ち目がないと悟った益躬公は、あえて降伏して家臣となり機を待ちました。そして播磨国明石の蟹坂で、鉄人が景色に見とれた一瞬、唯一の弱点であった足の裏を鏃で射抜き、ついに討ち取ったと伝えられます。
しかし勝利の代償は大きく、多くの臣下が命を落としました。その菩提を弔うために建立された堂宇こそが東禅寺の始まりです。つまり東禅寺は、勝利の記念碑ではなく「鎮魂の寺」として生まれたのです。この成り立ちは、東禅寺の性格を理解するうえで欠かせない視点といえます。

慶雲元年(704年)10月には、文武帝の詔により益躬公の勲功が賞され太政大臣の位が贈られました。さらに公は神格化され「鴨部大神(かんべおおかみ)」として、東禅寺に隣接する鴨部神社に祀られています。寺と神社が道を挟んで向かい合う現在の景観は、神仏習合の時代から続く信仰の形をそのまま今に伝えるものです。東禅寺を訪ねる際は、ぜひ鴨部神社もあわせて参拝したいところです。
本尊・薬師瑠璃光如来 ―「樹ノ本お薬師さん」の由来
東禅寺の本尊は等身大の薬師瑠璃光如来立像で、今治市指定文化財に指定されています。寺伝によれば、天平元年(729年)8月、越智玉澄公の命を受けた行基律師が巡錫の折、この地の霊樹の根幹をそのまま用いて等身の尊像を自ら刻み、安置したと伝わります。
山号の「霊樹山」も、通称の「樹ノ本お薬師さん」も、この立木仏の伝承に由来します。薬師如来は病苦を除き、心身の安寧をもたらす「医王」の仏。院号が「醫王院」であることからも、この寺が古くから病気平癒・健康長寿の信仰を集めてきたことがうかがえます。
また観音堂に祀られる観音像には、別の由緒が伝わります。天智天皇2年(663年)、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した際、捕虜となった越智郡主・越智直公が一体の仏像を見つけ、一心に無事の帰国を祈願したところ願いが叶ったといいます。帰国後、その仏を丁重に安置するために建てられたのが観音堂の起こりとされ、「無事に帰る」というご利益の物語として、旅の安全や生還祈願の信仰につながっています。

河野通信生誕の寺 ― 源平合戦と一遍上人につながる系譜
東禅寺を語るうえで欠かせないもう一人の人物が、伊予国守護・河野通信公(1156〜1223)です。寺伝によれば、通信公は東禅寺で生誕し、成人されたと伝えられています。
通信公は源平合戦において河野水軍を率いて源氏方に加勢し、屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで源義経を支えた立役者として知られます。瀬戸内の複雑な潮流を知り尽くした河野水軍の働きは、平家滅亡の決定打となりました。鎌倉幕府成立後は源頼朝から厚遇され、北条時政の娘(北条政子の妹)を妻に迎えて幕府中枢に近い地位を築きます。
しかし承久3年(1221年)の承久の乱では後鳥羽院方に参じて敗れ、奥州平泉へ配流。貞応2年(1223年)5月19日、68歳で生涯を閉じました。戒名は「東禪寺殿前豫州大守觀光西念大居士」。戒名に寺号が冠されていることが、通信公と東禅寺の深い結びつきを何より雄弁に物語っています。
さらに特筆すべきは、通信公の孫が時宗開祖・一遍上人であることです。一遍上人は東禅寺に祖父の位牌を奉納し、また一族の遺骨を分けて当山に埋葬したと伝わり、東禅寺は河野通信公の菩提寺となりました。境内には現在も河野通信公供養塔が静かに佇んでいます。踊り念仏で全国を巡った遊行の聖の原点が、この今治の地にあると考えると、参拝の感慨もひとしおです。
東禅寺の歴史年表 ― 1400年の再建と受難
東禅寺の歴史は、権力者の帰依による繁栄と、戦火による焼失・再建の繰り返しでもありました。主な出来事を年表で整理します。
| 年代 | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 推古天皇10年 | 602年 | 越智益躬公が鉄人討伐の戦没者供養のため堂宇を建立、東禅寺と号す |
| 天智天皇2年 | 663年 | 白村江の戦い。越智直公の帰国祈願にちなむ観音像を安置 |
| 慶雲元年 | 704年 | 文武帝の詔により益躬公に太政大臣位。鴨部大神として鴨部神社に祀られる |
| 天平元年 | 729年 | 行基律師が霊樹の根幹に等身の薬師瑠璃光如来を刻み安置 |
| 延久5年 | 1073年 | 伊予国司源頼義公・伊予介河野親経公により七堂伽藍再建 |
| 文治元年 | 1185年 | 河野通信公により七堂伽藍再建 |
| 貞応2年 | 1223年 | 河野通信公逝去。のち一遍上人が位牌を奉納し菩提寺となる |
| 元弘3年 | 1333年 | 河野備後守通綱公が七堂伽藍を再建 |
| 文中3年 | 1374年 | 小笠原勢との合戦により伽藍焼失、寺領没収 |
| 文明3年 | 1471年 | 河野通昭公により伽藍再建・寺領奉納 |
| 永正15年 | 1518年 | 河野通宣公により本堂(薬師堂)再建 ※のちの国宝 |
| 天正13年 | 1585年 | 豊臣秀吉の四国征伐で当山が陣営となり、兵火で宝物焼失 |
| 慶長16年・寛永9年 | 1611・1632年 | 今治城主 藤堂高吉公により本堂修膳 |
| 寛文2年 | 1662年 | 城主 松平定房公により伽藍補修整備 |
| 文化2年 | 1805年 | 城主 松平定剛公により本堂修膳 |
| 明治26年 | 1893年 | 内務省より建物保存資金五拾円を受ける |
| 明治37年 | 1904年 | 8月29日、本堂が古社寺保存法の特別保護建造物(国宝相当)に指定 |
| 昭和9〜10年 | 1934〜35年 | 薬師堂の全解体修理。文部省・今治市より補助 |
| 昭和20年 | 1945年 | 8月6日 今治空襲により薬師堂焼失。本尊は疎開により難を逃れる |
| 昭和28年 | 1953年 | 都市計画により境内を市道が貫通、本堂と本坊が分断される |
| 昭和31年 | 1956年 | 修理記録と県庁保管の図面をもとに薬師堂を再建、現在に至る |

幻の国宝・旧薬師堂 ― 今治空襲で失われた室町建築
東禅寺の歴史で最も痛切なのが、旧本堂(樹之本薬師堂)の焼失です。永正15年(1518年)に河野通宣公が再建したこの堂は、墨書によって建立年が明確に判明する貴重な遺構で、明治37年8月29日に特別保護建造物(現在の重要文化財に相当、当時は「国宝」と称された)に指定されました。
しかし昭和20年(1945年)8月6日の今治空襲により焼失。文化庁編『【新版】戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』に記録される、失われた文化財のひとつとなりました。不幸中の幸いは、時の住職・堅城和尚が空襲前に本尊を疎開させていたことです。この英断により、行基作と伝わる薬師瑠璃光如来立像は今日まで伝えられました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 東禅寺本堂(樹之本薬師堂)一棟 |
| 建立年 | 永正15年(1518年)/墨書により判明 |
| 指定年月日 | 明治37年(1904年)8月29日 |
| 焼失年月日 | 昭和20年(1945年)8月6日 |
| 構造形式 | 方三間、単層、入母屋造、本瓦葺 |
| 様式 | 唐様(禅宗様)三間仏殿 |
| 細部 | 粽付円柱に礎盤、貫・台輪、出三斗組の詰組、大疎垂木二軒 |
| 柱間装置 | 正面中央間に桟唐戸、両脇間に花頭窓と弓欄間/背面は三間通しの庇 |
| 内部 | 土間床、来迎壁前に須弥壇、堂と同時代の厨子を安置 |
| 評価 | 唐様三間仏殿のうち、構架に特異な手法が見られる点で貴重 |
現在の薬師堂は、昭和9年の解体修理時に文部技官が残した記録と、愛媛県庁に保管されていた図面に基づき、昭和31年(1956年)に再建されたものです。失われた国宝建築の姿を、資料に忠実に甦らせた「復元建築」という点で、戦災復興の歴史を伝える建物としての価値も持っています。
境内の見どころ
空襲で松並木の参道を失い、さらに戦後の都市計画によって境内の中央を市道が貫くこととなったため、かつての一体感ある伽藍配置は失われました。現在は本堂(蔵敷町)と本坊(南宝来町)が道路で隔てられるという、全国的にも珍しい形になっています。それでも、堂宇一つひとつに刻まれた歴史は健在です。
| 堂宇・見どころ | 安置仏・特徴 |
|---|---|
| 山門 | 参道の入口。空襲で失われた松並木の面影を偲ぶ起点 |
| 本堂(薬師堂) | 薬師瑠璃光如来・日光菩薩・月光菩薩・十二神将・四天王・両界曼荼羅・八祖大師 |
| 観音堂 | 如意輪観世音菩薩・弘法大師・阿弥陀如来・不動明王・両界曼荼羅・八祖大師 |
| 本坊 持仏間 | 地蔵菩薩・両界曼荼羅 |
| 地蔵堂 | 地蔵尊を祀る小堂 |
| 文殊菩薩石像 | 学業・知恵の仏。受験生の参拝も |
| 河野通信公供養塔 | 一遍上人ゆかり、河野氏の菩提を伝える石塔 |

寺宝・史料 ― 河野氏研究の一級資料と謎のキリシタン灯籠
東禅寺には、伊予の中世史を裏づける文書類が数多く伝わっています。特に河野氏関連の系図・家譜は、地域史研究において重要な位置を占めます。
| 寺宝・史料 | 概要 |
|---|---|
| 薬師瑠璃光如来立像 | 今治市指定文化財。行基作と伝わる等身の立木仏 |
| 河野氏家系図 | 伊予河野氏の系譜を伝える基礎史料 |
| 豫陽河野家譜姓氏録 全 | 河野一族の家譜をまとめた記録 |
| 豫陽河野史考 完 | 河野氏の歴史考証書 |
| 得居(河野)通栄公ご祈祷依頼状 | 戦国期の武将から寺への祈祷依頼を示す古文書 |
| 東禅寺略縁起 | 寺の由緒を記した根本史料 |
| 藤堂高吉公寄進状 | 今治城主 藤堂高吉の帰依を示す文書 |
| 河野通信公位牌 | 一遍上人による奉納と伝わる |
| 伊藤博文公爵位牌 | 初代内閣総理大臣の位牌を安置 |
| 織部式灯籠台(キリシタン灯籠) | 竿部が十字に見え、像が刻まれる特異な石灯籠 |
なかでも興味深いのが織部式灯籠台(キリシタン灯籠)です。織部灯籠は江戸時代以降に現れた石灯籠の一様式で、竿石が十字に見えること、竿に彫られた長身像が宣教師やマリア像を思わせることから、俗に「キリシタン灯籠」と呼ばれてきました。禁教下の潜伏信仰との関連は学術的には諸説あり断定はできませんが、真言宗の古刹にこうした遺物が残る事実そのものが、瀬戸内の港町・今治が担ってきた文化交流の広がりを感じさせます。また初代内閣総理大臣・伊藤博文の位牌が安置されている点も、この寺の格を示す独特のトピックといえるでしょう。
年中行事・ご縁日
東禅寺では旧暦にもとづく行事が今も守られています。参拝の日程を決める際の参考にしてください。
| 行事名 | 日程 | 内容 |
|---|---|---|
| 伊予府中21ヶ所霊場 弘法大師参り | 旧暦1月5日 | 地域の弘法大師巡拝の一環として賑わう |
| 弘法大師正御影供 | 旧暦3月21日 | 弘法大師の入定日を偲ぶ法要 |
| お釈迦様降誕会・花祭り | 旧暦4月8日 | 灌仏会。誕生仏に甘茶を注ぐ |
| 如意輪観世音菩薩ご縁日 | 5月18日 | 観音堂の本尊にちなむ縁日 |
| 薬師瑠璃光如来ご縁日 | 旧暦6月7日 | 本尊のご縁日。健康祈願の参拝者が集う |
| お釈迦様成道会・臘八 | 12月8日 | 釈尊成道を記念する法要 |

アクセス・参拝モデルコース
東禅寺はJR今治駅から徒歩圏内にあり、公共交通機関でも訪ねやすい立地です。今治駅東口から蒼社川方面へ延びる「ケヤキ並木みち」を歩けば、秋は紅葉、春は桜と、季節ごとの表情を楽しみながら参道気分で向かうことができます。
| 手段 | 所要時間・ルート |
|---|---|
| 徒歩 | JR予讃線「今治駅」東口から約15分(約1.1km) |
| 鉄道 | JR予讃線「今治駅」「伊予富田駅」「波止浜駅」が最寄り |
| 車 | 今治小松自動車道「今治湯ノ浦IC」から約20分/西瀬戸自動車道(しまなみ海道)「今治IC」から約15分 |
| 目印 | ハリソン東芝ライティング裏手、鴨部神社の道路向かい |
| 本坊 | 今治駅出口から徒歩約14分(南宝来町3-7-8) |
半日で巡る「今治・河野氏ゆかり」散策プラン
東禅寺だけで帰るのはもったいない立地です。今治駅を起点に、ケヤキ並木みち → 東禅寺(本堂) → 鴨部神社 → 三嶋神社・祇園神社 → 今治城と巡れば、古代の鉄人伝説から中世の河野水軍、近世の城下町までを一日で辿ることができます。徒歩とレンタサイクルを組み合わせれば、しまなみ海道サイクリングの前後にも無理なく組み込めるボリュームです。
参拝の際に知っておきたいポイント
東禅寺は四国八十八ヶ所の札所ではなく、日常的に観光客が押し寄せる寺院ではありません。地域の檀信徒の信仰を支える現役の菩提寺です。本堂と本坊が離れているため、ご朱印や御用向きは本坊(南宝来町)へ問い合わせるのが基本となります。また市道が境内を横切っているため、参拝時は車両の通行に十分注意してください。法要中は静かに参拝し、堂内の撮影可否は必ず寺務所に確認しましょう。
よくある質問(FAQ)
Q. 東禅寺は四国八十八ヶ所の札所ですか?
いいえ、四国八十八ヶ所霊場や別格二十霊場の札所ではありません。ただし旧暦1月5日には伊予府中二十一ヶ所霊場の弘法大師参りの行事が営まれるなど、地域霊場と深いつながりを持っています。
Q. 本尊の薬師如来は拝観できますか?
今治市指定文化財であり、常時公開されているとは限りません。ご縁日(旧暦6月7日)などの機会や、事前に寺へ相談することをおすすめします。
Q. なぜ本堂と本坊の住所が違うのですか?
昭和28年(1953年)の今治市都市計画により、境内の中央を市道が通ることになったためです。本堂(薬師堂)は蔵敷町、本坊は南宝来町に位置し、戦災復興期の都市計画が寺院の姿を変えた実例として知られています。
Q. 「樹ノ本お薬師さん」とは誰のことですか?
本尊の薬師瑠璃光如来立像の通称です。行基が霊樹の根幹に刻んだと伝わることから「樹ノ本」の名で親しまれ、山号「霊樹山」もこれに由来します。
まとめ|今治駅から徒歩15分、1400年の記憶をたどる古刹
東禅寺は、鉄人伝説に始まる戦没者供養の寺として生まれ、行基の彫った薬師如来を守り、河野通信という中世伊予の英雄を育て、一遍上人の祈りを受け継いできました。国宝級の本堂を戦火で失いながらも、疎開させた本尊と一枚の図面を頼りに堂宇を再建し、市道に分断されてなお法燈を絶やさずにいる——その歩みそのものが、この寺の最大の見どころだろう。
参考文献
『東禅寺略縁起』/文化庁編『【新版】戦災等による焼失文化財 20世紀の文化財過去帳』(戎光祥出版)/『豫陽河野家譜姓氏録』ほか






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